進撃の巨人のユミル(104期生)はヒストリアの何になりたかったか考えてみた

ユミル(104期生)はヒストリアにとって親友であり精神的には「父」だと思うヒストリアが地下礼拝堂で実父のロッド・レイスに反逆する直前にユミル(104期生)の「お前...胸張って生きろよ」という言葉を思い出してる場面があるけど、その後のユミルからの手…

進撃の巨人のリヴァイの通過儀礼について考えてみた

※進撃の巨人のネタバレありますリヴァイの「心臓を捧げよ」はケニーの「俺は人の親になれねぇよ」から親になるとはどういうことかを体現した言葉だと思う進撃の巨人は名前付きのメインキャラでも物語の途中で当然のように命を落とす残酷な世界にも関わらずリ…

「甘やかす・甘やかされる」は言う人によって意味が定義されて「言われる側が不利」な言葉だと思う

「甘やかす・甘やかされる」は意味がはっきりしないから、「雑・丁寧」で統一した方がわかりやすくなると勝手に思ってる言葉狩りになると叩かれるかもしれないけど「甘やかす・甘やかされる」という言葉は「自分も他人も雑に扱う・接するように誘導する言葉…

ニセコイの楽は小野寺さんを選ばないと性格悪いのかについて考えてみた

※ニセコイのネタバレありますニセコイは「今の自分の気持ち」を優先することへの罪悪感を克服する物語なんだと思う恋愛は気持ちの通じ合いだけでなく「個人の嗜好」にも左右されるものだと思うから、自分に好意ある相手が複数人いたとしても最終的には「自分…

そもそも「自制」という概念を知らない人が少なくない可能性あると思うことについて

日本は力に対して受け身の前提の「我慢」は口を酸っぱくして教える割に力に対して能動的な「自制」の話は優先して教えないことに違和感ある「別のところで我慢してたから今まで善人として生きてた善行の貯金があるから自由にやりたい放題できる」という勘違…

ライブアライブの魔王オディオと心山拳師範との会話は「倫理とは気持ち(憎しみ)を自制すること」と言ってると思う・銀英伝のヤンのセリフについて

※ライブアライブ最終編と銀英伝のヤンのセリフについてネタバレあります魔王オディオに対する心山拳師範のレイ・サモ・ユンの会話は「気持ち(憎しみ)と倫理の両方を選ぶのは真逆の概念だから不可能」という観点の話だと思ってる共感しない高原・ルクレチア…

「対人関係は基本的には100%は心を開かなくていい」と小学校のうちから教えた方がいいと自分が思ったことについて

日本は学校システムが「気持ちを一つにする」ことを求めてると思う相手が自分に心を開くかどうかは「相手が決めることで結果論」で「内心に踏み込んだこと」のはずなのに日本の学校が「気持ちが通じ合う」「みんなで気持ちを一つにする」ことを重視する構造…

ナルトにとってサスケはメタ視点では「同一性のある他者」だから、ナルトがサスケを追い続ける物語が成立可能なんだと思ってる

サスケがひたすら木ノ葉への復讐しようとするのはメタ的には「ナルトにとってもう一人の自分」だからだと思うナルトにとってサスケは「同一性のある他人」だから物語終盤までサスケは「ものわかり悪いからいつまでも木ノ葉の里への復讐に執着してる」という…

鬼滅の刃の伊黒は「甘露寺の結末を全てわかってる」前提で本編を生きてたのではないかと思う

伊黒と甘露寺の関係は「あの花」の仁太とめんまに似てると思う鬼滅の刃でしのぶは伊之助・カナヲの話とも繋がってるけど基本的には本人単独のエピソードで鬼と戦った人生だったのに対して甘露寺の方は「伊黒の罪悪感」に合わせた結末になった理由について自…

ライブアライブの最終編の主人公が魔王オディオに「共感してるかどうか」について考えてみた

※記事のタイトルと本文の追記・変更あります会話が若干噛み合ってなさそうに見える理由は高原が魔王オディオに「共感してない」返答してるからだと思うゲーム動画で「高原は魔王オディオの話を理解してるのか?」という感じのコメントを自分が以前に見たこと…

女性の社会規範は「共感されないと存在を許されない」という前提から作られてるんじゃないかと思う

共感されなくても自分の存在を許されるのは強者の特権という発想から「解釈違い」が許せなくなる心理があると思う文章だけで性別を判断するのは不可能だし公式が解釈違いと思う人は性別問わず存在する可能性あると思うけどもし女性の方が解釈違いを許せない…

「公式が解釈違い」という発想は「作り手が素(無自覚)で物語の文脈と無関係にキャラを変化させてる」という見方から生まれたものだと思う

「読み手の主観」で物語の文脈に沿ってないキャラの変化を感じたときに「公式が解釈違い」という感覚に読み手がなるのだと思う(作り手の意図と無関係に)自分の推測になるけど、「作り手が素(無自覚)でキャラの心理をわかってないから(読み手の主観で)…

「自分は幸せになっていい」より「自分で自分を幸せにしていい」の方が好きな理由について

「自分で自分を主体的に幸せにする」という意味の言い回しがあまりない気がしてた「幸せになっていい」「幸せになる」自体は何もおかしくないんだけど「なる」の部分が「受け身」にように自分には見えて(単に言い回しの都合でそう見えるだけかもしれないけ…

女性の社会規範は「他人の認識に従う」ことを前提に作られてる(愛想の良さ等)から「自分の認識」を否定するために他者の認識に依存せざるを得ない側面があると思う

男性の方が「他人の認識に従わなければいけないという強迫観念」自体が根本的になさそうな人が多いと思う今まで自分が知らなかった人の文章を読んで思ったことだけど、「他人に認識に従わなければいけない」という強迫観念で「自ら自分の認識・個を消滅させ…

FF5のファリスのポジションはなぜ従来の男性キャラではないのか考えてみた

※FF5の特にファリス関連のネタバレありますFF5は「身体・精神面」での女性キャラの葛藤を描写するためにテーマが真逆の「精神的な男らしさ」に葛藤するタイプの男性キャラが存在しないのだと思う以前に「FF5のファリスは男性キャラでもよかったのではないか…

もし女性が集団に迎合して個を意識しにくいとしたら、一人称「俺」に当たる単語がないことが原因じゃないかと思う

一人称「名前」にする人の心理は「性別に左右されない」私的な一人称が日本語の標準語にないからだと思う(公的で性別関係なく共通の一人称は「私」しかない)男性の一人称「俺」に当たる単語は女性の一人称に存在しない理由はなんだろう?と自分が子供のと…

エルフ夫とドワーフ嫁のキオナの力に対する認識・FF2のレオンハルトが力・支配を絶対視した理由について

※この記事ではエルフ夫とドワーフ嫁・FF2のストーリーの核心に言及してますキオナが一番気にしてるのは自分が相手より力があったから解決できたことではないかと思うエルフ夫とドワーフ嫁で物語の核心に当たるキオナの過去の話を読んだときに「過去に経験し…

銀英伝でロイエンタールの個人的な背景を誰なら理解できるのか考えてみた

相手視点がわかるタイプのキャラで初めて可能なことだと思う自分の想像でなんとなく思ったことだけど、部下がサインを間違ってコーヒー2杯を持ってきたときそのまま受け取ったエピソードからアイゼナッハは「相手の認識を読む」ことが得意そうだから、もしロ…

創作で「社会(他者)の方が神話に迎合してる」構図の物語について

他者と関わるとは「神話が機能してない世界と関わる」ことではないかと思う創作で「他者と関わってる」という描写はそもそもどういう描写なのか自分で考えてみたら恋愛物の場合は「神話とは別のルールで世界を生きてる社会(他者)に合わせて主人公達の方が…

銀英伝のラインハルトは「当事者」視点・ヤンは「自他の区別」視点のキャラだと思う

ラインハルトは「当事者意識が高く自他の区別が曖昧」・ヤンは「当事者意識が低く自他の区別がはっきりしてる」点が真逆なんだと思うラインハルトがキルヒアイスを亡くしたときにそこまで精神的にダメージを受けた理由について「ラインハルトの当事者性(判…

「口が達者」は悪かどうかについて

口だけは達者・ビッグマウスを嫌うのに言葉足らずについてはツッコまないのは謎自分の父親は特にテレビ番組で有名人が「大口を叩く・ビッグマウス」を嫌う方でその割に「言葉足らず」「口下手」についてはその単語が会話に出て来なくて(メタ的に存在しない…

創作では「お人よし・人見知り」の組み合わせが自分の好みだと思う

異性愛・友情・百合・BL問わず「お人よし・人見知り」の組み合わせは既存の性規範を相対化してる気がするリトルバスターズの理樹と鈴(NL)・ゴールデンカムイの勇作と尾形(BL)のようなお人よし・人見知り(に近い性質で自他を意識するタイプ)のキャラの…

呪詛目的ではない文章を呪詛として解釈されることは「ネットの世界の交通事故」だと思ってる

わざわざ他人に呪詛を書くメリットが書き手にはないという前提がないことが気になる自分が書いた文章が他人に呪詛として受け取られるのは書いてる本人からするとデメリットしかないから、「少なくとも呪詛目的の文章ではない」と書き手の意図を無視した解釈…

ドラクエ2で主人公達の親が「無力」という立場を引き受ける構図とFF8について

ドラクエ2はローレシア国王が「無力」を引き受けたことが物語の始まりだと思うドラクエ2の主人公の旅立ちについて「ローレシア国王から王子(主人公)への装備の支給品が一般の冒険者と同じくらいの物だけど、なぜもっと強い武器・防具を息子の旅立ちに渡さ…

他人と関わるかどうかを「自分で判断する権利がない」ことが自他の区別が付かなくなる一因じゃないかと思ってる 

他人同士を「みんな同じ」と教えることでマッチポンプのように自他の境界が消える文化だったと思う少なくとも昔の日本は自分と他人は違うということを「意識してはいけないと刷り込む(本来は意識した方が自他の区別が付く)」ことで自分と他人は同一人物で…

現実に集中するために「言及の意図がない」日記としてブログを書きたい

開き直ってるという意味じゃなくて自分を無闇に否定したくないトラブルの原因を作ってまで他人に言及したいわけじゃないし、「自分を否定しない」ができるようになれば自分に集中できるようになるんじゃないかと私は思ってる。この記事のタイトルには「日記…

進撃の巨人アニメ版(1期)のアニについて

※進撃の巨人のネタバレあります宣戦布告したミカサに反応してアニが高笑いしてるように見えるアニメ版で女型の巨人に変身する直前のアニの高笑い(だと思う)のシーンはミカサが「もういい、~女型の巨人」と言った後に「肯定」の意味で笑ってるように見えて…

リトルバスターズの鈴の他者への認識は自他の区別の観点では満点じゃないかと思う

※この記事について追記・変更が若干あります 自他の区別がはっきりしてることで女性の社会規範を相対化する視点が物語にできたと思う鈴が学校の偉い人を案内しなければいけなくなったときに鈴の礼儀や愛想の良さについて一通り練習して確認するイベントがあ…

進撃の巨人のフリッツ王・始祖ユミルの対比について

※進撃の巨人のネタバレありますフリッツ王→エレン、始祖ユミル→ミカサという対比ではないかと思う進撃の巨人の終盤はエレンとミカサがメタ的には「フリッツ王と始祖ユミルの別の可能性」を再現してるのではないかと思ってて、自分の見方が合ってればだけど進…

「他人を変えたい願望」はどういう心理か考えたら「自分の認識で相手の認識を上書きしたい」ではないかと思う

「相手の認識を自分の認識で消さない」ことが他者の認識を尊重することだと思う文字で書くと簡単そうに見えるけど、自分の認識で相手の認識を上書きしたり・消さなずに相手の認識を尊重することは現実だとものすごく難しいことだと私は思ってる。「自分には…