ライブアライブの魔王オディオと心山拳師範との会話は「倫理とは気持ち(憎しみ)を自制すること」と言ってると思う・銀英伝のヤンのセリフについて

ライブアライブ最終編と銀英伝のヤンのセリフについてネタバレあります

魔王オディオに対する心山拳師範のレイ・サモ・ユンの会話は「気持ち(憎しみ)と倫理の両方を選ぶのは真逆の概念だから不可能」という観点の話だと思ってる

共感しない高原・ルクレチア滅亡以外の点では共感のおぼろ丸とサンダウンと心山拳師範3人との違いは何か自分で考えてみたら、レイ・サモ・ユンは「自分の気持ちと倫理のどっちを優先するか」という観点の話で「オルステッド自身の選択について一番突っ込んでる」ように自分には見えて、絶対の倫理が機能してるから魔王オディオの所業を断罪してるのではなく「倫理は自分の気持ちと天秤に掛けて自分自身で選ぶもの」ということを示してると私は思ってる。

レイの「自分がほしがったものとは別のものが手に入る」というセリフは努力を無条件に肯定してるという意味ではなく、もしオルステッドが気持ち(憎しみ)ではなく倫理を優先したらその時点でのオルステッドの望みは叶わなくても自分の気が変わって別の願望は叶うかもしれないという意味だと私は勝手に思ってる。
ユンの「あなたは純粋なのでしょう」とサモ「自分がされて嫌なことは~」は自分の気持ち(憎しみ)への「自制(心)」がなければ倫理の方を優先できないということを示してると私は思ってる。

ヤンの人物評価は「個人単位」だから民主主義・対権力の観点では正論でも個人的な人間関係では心の声が対権力者レベルの評論になって若干噛み合ってないんだと思ってる
英伝でヤンに「民主主義の真髄は強者が力を自制することにある」というセリフがあってこのセリフが「強者(権力)ではなく個人に言及」した場合どうなるか考えたら「倫理の真髄は個人が力を自制することにある」になるから、「個人の場合」も力(含めた気持ち等のエネルギー全般)の自制の話とも受け取れると私は思ってる(自分で言葉を入れ替えただけだからこじつけだけど)