携帯電話が完全には普及してない時代の方がよかったと思う

LINE消えたら困るとか入れろとかの話になることもなかったと思う
自分の場合は携帯電話を持ってからの方が他人との繋がりを意識して自分の人生を自分主体で考えられなくなったような感覚があるから、携帯電話が普及してない環境の方がリアルの個人的な人間関係とか自分で考えるしかないことについて自分の頭で考えたのではないかと思ってる(メールとかLINEには絶対に反応しなければいけないみたいな携帯電話の方が主体で自分の方がおまけみたいな感覚にはならなかったと思う)

 

ポケモンサンムーンでマーレインとグズマに接点がない理由を考えてみた

ポケモンサンムーンと鬼滅の刃のキャラとストーリーへの言及とネタバレあります

マーレインクチナシの代わりにキャプテン選抜を一部引き受けてる点から「キャプテンに選ばれること自体が実力だけではなく運にも左右される」と考えてると思う
キャプテンに選ばれるかどうかについてグズマと会話イベントがあるククイとは逆にマーレインスカル団の本拠地のあるウラウラ島にいるのにグズマと直接関わるイベントが存在しない(USUMでもグズマとはなかったと思う)理由について、名前は出してないけど実質的にはクチナシに言及してる「ウラウラ島はやや特殊な事情で~」というマーレインのセリフから本来はしまキングのクチナシの役目であるキャプテン選抜をマーレインが一部代行してマーマネをキャプテンに選んでることで(推測だけどアセロラをキャプテンに任命した人間は存在しない可能性あると思う)、マーレインは「キャプテンになれるかどうかは選ばれる側の実力だけでなく選ぶ側が誰を選ぶか運にも左右される要素がある」という考え方をしてて、「キャプテンに選ばれるかどうかは100%実力で決まる」と考えてるククイグズマの対立がメタ視点で破綻するからマーレイングズマは接点がないんだと私は勝手に思ってる。

運の要素一切なしの実力で決まると考えてるからククイグズマは対立してると思う
ククイグズマとの煽り合いで「キャプテンになれなかったのではなく夢のためにならなかった」と言ってる理由はククイはキャプテンの立場に選ばれることは実力の証明になるという価値観をしてるからだと私は思ってる。
もしククイがキャプテンになれるかどうかは任命者であるしまキング・しまクイーン第で運にも左右されるという価値観だったらグズマの言う「キャプテンになれなかった同士」に言い返さなかったのではないかと私は推測してる。

追記
鬼滅の刃で柱システムに馴染まない冨岡みたいに「実力で選ばれるというのがその共同体での共通認識のポジションに対して運の要素があると考えるキャラが混ざってる」パターンが創作での自分の好みのパターンだと思ってる(運の要素もあることを認識した上で選ばれるのに実力が必要であることを自体は否定しないパターンが好き)

先生や師匠の教えを完コピすることに固執して「なぜそのやり方なのか」まで考えない親は「他者視点がわからない」のだと思う

その手順通り完コピじゃないと上手くいかないものもあるから一概に言えないけど、完コピだけ固執してなぜそうなのか考えないとゴリ押しになると思う
車の運転のように教わった通りに再現しないと上手く行かない可能性が高いものはともかく料理みたいに多少はアレンジしてもいいものでも「一字一句そのままやらなければいけない」みたいな考え方する親は「根本的に原理を考えない」し、相手がどういう意図でその教え方なのかも考えないから「言われた通り完コピしなければ不正解」みたいな極端な考え方して、「先生・師匠の言うことだから絶対にその手順だからではなくその人の視点だからその教え方になる」とは考えないから「その手順じゃないとその料理じゃない」みたいな発想になるんだと私は思ってる(材料が変わったら違う料理になることもあるから一概には言えないけど)

ポケモンサンムーンのククイとクチナシは対比ではないかと思う

ポケモンサンムーンのネタバレあります

クチナシが四天王を断ったのはククイへの好悪とは関係なく純粋に「人に頼まれた面倒事だから」という理由なんだと思う
クチナシがアローラのポケモンリーグの四天王を断った理由はアセロラが言ってる通り守り神のカプに選ばれたのではなく人からの頼み事だからだと私は思うし、ククイポケモンリーグの新設でアローラの外側を重視してクチナシスカル団の見張り等でアローラ内側を重視してるところが真逆で、あまり根拠はないけどククイクチナシは性格的には合わなさそうなイメージが自分の中にある(クチナシが四天王を断ったのはククイの性格とは関係なく単に人間界の面倒事だからだと思う)
ポケモンサンムーンのアローラ地方は4つの島で一つの村みたいな狭い社会のようなところはあると思うけど、それでもアローラ地方は他のシリーズにはないような固有の世界観と文化とキャラとの相乗効果で生まれた面白さがあると私は思ってる。

ポケモンXYのパキラは「社会に自分の悪性を認識させない」点が異端だと思う

ポケモンXYのネタバレあります

「自分が悪かどうかは自分で決める」みたいな価値観なんだと思う
パキラは国際警察のハンサムとの取引に応じてることから自分が悪であることは自覚してるけどポケモンリーグの四天王とチャンピオン・世間には自分が悪であることは認識されたくなくて、パキラの「自分が悪であるかどうかは自分の判断で決める」というスタンスが他のシリーズと比べても異端だと私は思ってる。
自分の感覚だとORASのヒガナよりパキラの方がフレア団と関係あることが主人公視点で発覚した後もポケモンの世界では公的に認められた四天王という立場のままでいられることが不思議に思う。

ポケモンORASエピソードデルタのヒガナは「チャンピオンのライバル」という意図で追加されたキャラじゃないかと思う

ポケモンオメガルビーアルファサファイアのネタバレあります

「チャンピオンのライバルだけど解決するのは主人公」というシナリから逆算してヒガナの言動が設定されたのではないかと思う
特に根拠もない自分の想像だけど「チャンピオンのダイゴに対等に煽るキャラ」という意図とエピソードデルタの事件を解決するのは主人公という条件からヒガナというキャラが設定されたと私は思ってて、煽るだけ煽って解決するのは結果的に主人公任せになったことを抜きにして考えると「ダイゴを真っ向から煽る」という点ではヒガナは面白いキャラだと私は思ってる。
エピソードデルタが当時から賛否両論で否定的な感想が多かった理由はプレイヤー視点ではヒガナが大人達を煽る上に本人が想像力のなさがブーメランになって何がしたかったのかわからないシナリオに見えるからだと私は思う。

創作が単なる趣味ではなく「人間社会に必須」である理由がわからない

創作は「余計なこと言ってるんだから馴染むわけない異物」のようなものだと思う
創作が人生のおまけや個人の趣味に留まらず人間社会にとって必須という理由が自分にはいまいちわからなくて、創作でも物語は特に「既存の社会に合わせられず余計なこと言ってるから馴染めないわな」というものでしかないと自分だったら思うから創作が社会にとって必須である理由がやっぱりわからないと自分の感覚では思う。
創作文化が社会に浸透してることとは別に「創作は社会から見たら異物」なのに人間社会で必須の文化になってることは不思議だと私は思ってる。