2023-01-01から1年間の記事一覧

葬送のフリーレンの一級魔法使い試験編が初期の話より評価が割れてるらしいのはテーマに「引き際」が含まれてるからだと思う

※葬送のフリーレンの一級魔法使い試験編・黄金郷のマハト編のネタバレあります「引き際がわからない程ガキじゃないだろう」が煽りではないことが面白いと思った創作物で男性キャラが女性キャラと戦闘で退く・逃げることを勧めるときは大抵の場合は「女だから…

鬼滅の刃で伊黒が一族の死を自分のせいではないと認めるには甘露寺が伊黒に勝負で勝つ話が必要ではないかと思う

伊黒が自罰感情を思い込まされたものだと認めるには甘露寺の価値観が優位になる必要があると思う原作の流れだと甘露寺が「あまり役に立たなかった」と自己評価してて、もし甘露寺が本人の認識で「十分役に立った」と認める状況があったらそのときは「甘露寺…

創作物で性別の社会規範を逆にしたら困り事が逆パターンになるか考えてみた

※女性・男性で本人が実際の能力として出来ることに対して他人がどれだけ正確に評価出来るかということについて性別の社会規範の観点で自分が考えたことです女性は苦手・出来ないことでも力を求められる(買い被られる)・男性は出来る・得意なことでも力がな…

最強という前提で無力さを無視されたまま話が進むことが自分は苦手だったと思う

※特に言及ではなく自分が主にリアルで考えたことのまとめです。記事のタイトルは今の内容の方があってると思うので変更しました。相手の困り事を聞くには相手の無力さを認める姿勢が必須だと思う相手が力がある・強いと認識して「まさか〇〇できない(能力が…

創作物で自分が無力感(無価値感)あるときは相手の無力さを・自分が万能感(罪悪感)あるときは相手の力を認められない描写について

自分が悪として女性を奴隷にする耐性はあるけど夫の死(無力さ)には発狂という構図ドラクエ6のガンディーノの皇太后は本人の無力感(無価値感)から夫である前国王の死(死を無力さとして見ると)を認められず夫は旅に出てると主人公達との会話で言ってるの…

ドラクエ6のキャラの肩書きでテリーの方が「ミレーユの弟」ではない理由を考えてみた

テリーとミレーユの肩書きは逆でも成立するんじゃないかと思うドラクエ6でムドーを倒した後のアークボルトからデュラン撃破までの物語はテリーが自分のアイデンティティを取り戻す話でもあるから、テリーの肩書きが「ミレーユの弟」・ミレーユの肩書きは元々…

相手にされないから系の話は「誰に」相手にされないと困る話なのかがわからない

「相手にされないと終わり」というのは対人関係が受け身の前提だと思う自分が「誰を相手にするか選ぶ」のではなく「自分が相手に選ばれないと終わり」という論調は「自分が相手を選ぶ」という前提がないことが自分の感覚では疑問ある。常に「自分が選ばれる…

ドラクエ6でテリーが人の心を取り戻せたのは女性が力を示したからではないかと思う

ドラクエ6は女性キャラが本人の個性を発揮してることが多かったと思うマウントスノー北の洞窟でテリーが自分の持ってる雷鳴の剣の方が強いから価値がないと判断したさびた剣をラミアスの剣に鍛えたのは女性のサリイであること・ヘルクラウド城で主人公達がテ…

ドラクエ5のヨシュアの大神殿での結末はメタ的には天空の花嫁の悪要素を引き受けて整合性を取った結果ではないかと思う

ヨシュアは石化しないからこそ非業の死を遂げたと思う主人公・天空の花嫁と違って石化することもなかったヨシュアは生きてるときに本人の時間が止まることはないから一度光の教団に入ったからには兵士として奴隷を監視してイブール達の悪に加担し続けるしか…

ドラクエ7の過去ダーマ編のネリスの恋愛観について

※ダーマ編のセリフを読み返したので追記と変更あります好きな人と一緒にいれば他はどうでもいいというわけではないという複雑さがよかった過去ダーマ編はクリア後にザジがいなくなった後のネリスの様子からしても「ザジが消えてカシムと一緒になってもネリス…

ドラクエビルダーズ1のアメルダとガロンは女性と荒くれでどちらも人格を持って信頼関係あるパターンではないかと思う

※ドラクエビルダーズ1・2のネタバレ注意です女性キャラで加害者の立場を引き受けるパターンの究極形だと思う荒くれと女性キャラでどっちも能動的に行動してる話がないかと思って探したらアメルダ・ガロン・ラライの話を確認できて、ドラクエビルダーズ2のオ…

日本での子供時代は何かを理解することよりも「怒られる」ことの方が価値が高いから相対的に「理解すること」の価値が下がってると思う

日本の学校は何かを理解することより「怒られる」練習する場だと思う自分の場合は子供のときより大人になってから主体的に物事を理解しようとしたことの方が理解力が身に付いたような気がするし、日本での子供時代は何を理解することより「怒られる」ことの…

ドラクエ4の1章でホイミンが人間になりたいという自己実現の夢を持ってる理由はライアンが既に自己実現を果たしてるからだと思う

1章でやることは他人を再会させることが主体であることに意味があると思うドラクエ4の1章については事件を解決するのはライアンが主体だけどフレアとアレクスを再会させる・子供達を探すことという「物事の主体は他人の方」である理由について、ホイミスライ…

ドラクエビルダーズ2のリックとドラクエ7の過去マーディラスについて

※ドラクエビルダーズ2のムーンブルク編とドラクエ7のネタバレありますリックはラグラーズ兵士長とゼッペルの両方の役割をやってると思うムーンブルク編のリックはドラクエ7で例えるとラグラーズ兵士長とゼッペルの両方の役割を一人で果たしてるから、裏切っ…

ドラクエ7の過去ウッドパルナで隠されたのは「男達の方ではない」理由を考えてみた

※ドラクエ7の過去ウッドパルナ編のネタバレ注意ですウッドパルナという村の名前自体が皮肉のようでルサンチマン要素が強い話だと思う自分の想像も入るけど、男達には当事者として葛藤させるため(疑似的にパルナと同じ体験をさせるため)にマチルダは敢えて…

傾聴の精度を高めるコツは「人の話の中で重要な部分を聞き逃すことによるデメリットを想定すること」ではないかと思う

聞くメリットより聞き逃すデメリットを想定した方が真剣に人の話を聞けると思うあくまで自分の場合の話でそもそも人の話を聞けてるのか・文章をちゃんと読めてるのかなんとも言えないし他の人に当てはまるかわからないけど、人の話を聞けたらいいことがある…

ドラクエ4の2章(アリーナ主人公)で事件・問題が起こるのは「他者と一方的に同化したとき」だと思う

2章での事件・問題の解決方法は「他者との分離」であることが多いと思う2章でフレノールの誘拐事件の原因は犯人達が黄金の腕輪を求めてたことだけどメイがアリーナのフリをしたことが犯人達に間違って誘拐される原因を意図せず作り出してて、「メイがアリー…

自他の区別という概念は「他人から自由に離れる権利」があって初めて実感を持てる概念ではないかと思う

人間関係がある状態が絶対正義という価値観しかない環境だったら理解できないと思う友達作りを絶対的に推奨する学校システムだったり恋愛でもなんでも人間関係がある状態が絶対的な正義として機能する環境しか知らなかったら、「自分と他人の区別が付いてな…

創作物で関係性の集積地点にいる人物の悪を引き受けるキャラについて

集積地点を発生させた人間関係から部外者に当たる人が引き受ける傾向あると思うゴールデンカムイで尾形の悪を引き受けたのが尾形に毒矢を放ったときのアシリパさん・FF2でレオンハルトの仕掛けた(描写がないから物語の外からの想像になるけど)偽ヒルダ(ラ…

ドラクエ7の過去→現在でキャラの物語上のメタ的な立ち位置はジャン→アイラ、ライラ→ヨハンが同じではないかと思う

現在のユバールと復活の儀式で恋愛の要素がないこと自体に意味があると思うアイラとヨハンは復活の儀式のための踊り手・弾き手としての役割を全うするだけで、アイラとヨハンが恋愛するわけでもないし儀式が成功したらそのまま解散するだけで過去のユバール…

女性の社会規範は他者への気遣いの観点から成立してて「他者を不快にすることが悪」だから、困り事があってもキラキラした言い方せざるを得ない側面があると思う

女性本人が自分の困り事を認識することを禁じてる要素はあると思う女性の社会規範は基本的に愛想の良さ・察しの良さ等の「他者への気遣いの観点から成立してる」から、女性本人が「他者への気遣いと関係なく自分の困ってることを認識する」ことはそもそも女…

日本は根本的に「自我を持つことを許されない社会」だから推し文化が浸透したと思う

自我を持ったら反抗(加害)と見なされる自我がある状態は命令通りに動いてほしい人間から見たら「可愛くない」から、上下関係のルールが厳しいところだと「自我を持つことが目上への反抗(加害)」と見なされるような世界観だってあるし、推し活動の極端な…

他人に同一性を求めるくらい現実の自分がなくなる理由は「その人自身が既に同一性を要求されてリアルで壊されてきたから」だと思う

親が推し活感覚で子育てすると子供の自我はいくらでも壊せるのではないかと思ってる自分の場合は親も習い事も教師も煽るタイプの人の方が子供のときから多くて(親は習い事を絶対視するタイプだったし)「自分の理想通りになれと強い立場にいる大人から一方…

FF5のバッツとロマサガ3のエレンはメタ的には物語の「個人的な人間関係」から生まれたキャラではないかと思う

社会的立場自体は存在するけど個人の要素の方が物語で強い意味を持ってると思うバッツは冒険者・エレンはシノンの人間として社会的立場は物語でも機能してるけど、物語のテーマと文脈からするとバッツとエレンは個人的な人間関係の方が重要だと私は思ってる…

FF5のバッツ・レナ・ファリスは3人エンド実現の可能性あるのではないかと思う

第二世界にワープするときは「3人だけの世界」を構築してたと思うFF5はバッツを基準にして考えるとレナとファリスのどちらでも恋愛が成立しそうだし友情も成立しそうで基本的にはどんな可能性でもありえそうな物語だと私は思ってる。3人エンドの定義に当ては…

ライブアライブの「誰しもが魔王になりえる事を」というセリフは普通と異常の間に境界線がないこと示してると思う

※ライブアライブのSFC版のストーリーのネタバレありますライブアライブは勇者・魔王・その他の人を「同じ人間」として見なす話だと思うライブアライブの中世編・最終編は「この事例だけが特別だったではなく、条件さえ揃えば誰でもどこでもルクレチアと同じ…

「社会は厳しいんだぞ」という話は「事務的な手続き単位では社会を語らない」から上下関係・人間関係の話に終始してるのではないかと思う

「社会は手続きが通用する場所」として教えた方がいいと思う 厳しい上下関係と雑な状態を厳しいと美化して「社会(仕事)は厳しいんだ」と学校や大人が自慢することが日本社会では少なくないと思うけど、対人関係や上下関係のルールとは別に「社会全般は厳し…

るろうに剣心の人誅編は縁視点だと「薫を巴と同一の存在ではなく他者と認識するまで」の話ではないかと思う

青年誌だとしても縁は薫を生かしたと思う単行本に「少年誌じゃなかったら縁は薫を生かしてない(意訳)」と書いてあった記憶が自分にあるけど(確か)、るろうに剣心がもし青年誌の作品で物語のテーマ通りにストーリーが進行したとしても人誅編で本当に縁が…

創作物の悪役と主人公側では似た関係性でも結末が逆転する構図について

一人がもう一人を絶対視してる点では似た関係性だと思う物語の文脈が根本的に違うから比較として成立しないかもしれないけど犬夜叉の弥勒と珊瑚はるろうに剣心の志々雄と宗次郎の関係性(京都編終盤までの)に似てる要素があると私は思ってる。珊瑚は飛来骨…

呪術廻戦は「自我を持って主体的に判断する権利がないという状態」を悪とする物語だと思う

自分のために生きないと悪なんだと思う主人公の友達で女性キャラの野薔薇に「私はオシャレしてる私が大好きだ(意訳)」「強くあろうとする私が大好き」「不幸なら何しても許されんのかよ」というセリフが自分にとって印象に残ってる。かなり後の話に出てき…