他人に同一性を求めるくらい現実の自分がなくなる理由は「その人自身が既に同一性を要求されてリアルで壊されてきたから」だと思う

親が推し活感覚で子育てすると子供の自我はいくらでも壊せるのではないかと思ってる
自分の場合は親も習い事も教師も煽るタイプの人の方が子供のときから多くて(親は習い事を絶対視するタイプだったし)「自分の理想通りになれと強い立場にいる大人から一方的に願望を押し付けられる」ことが多かったと思う。
強い立場にいる人の理想と一致した状態にならないと否定される」ことが原因で「子供のときから立場と無関係に人間は単独で存在を許されてる」という感覚が身に付かなかったのではないかと私は思ってる。

労働してなかったらそれだけで死刑になるわけではないのに、一時期は労働してる・労働してないだけで生死が左右されるくらいのレベルでずっと悩んでたような気がする(労働してないだけで死刑だと厳し過ぎて国家としてはほとんど独裁状態になるのに)

母親は友達であっても自分とは別の人間ということを教えないタイプだった
自分が小学生のときに「なんで同級生同士で子供達の距離感が近くないの」ということを母親が言ってて、小学校高学年くらいになるとそこまで価値観が合わない人同士だと距離感が遠くなるのは当たり前だし価値観が近くても「自分と他人は同一人物じゃない」のに「自分と他人が同一になれる前提」なのが不思議だなと私は思う。

「距離感は近ければ近いほどいい」はいつどんな状況でも通用する万能の価値観ではないのに、「距離感が近くなれば自分と他人は同一になれると信じてた」のか今思うと母親に対してよくわからないなと私は思う(距離感の近い・遠い関係なく別人なのにと思う)
現在の方が前よりは自我とか自分で考え続ける状態を自分が維持できてるような気がする(荒れてた時期はすみません)

※自分だけが可哀想という意図はありません