創作物の悪役と主人公側では似た関係性でも結末が逆転する構図について

一人がもう一人を絶対視してる点では似た関係性だと思う
物語の文脈が根本的に違うから比較として成立しないかもしれないけど犬夜叉弥勒と珊瑚はるろうに剣心の志々雄と宗次郎の関係性(京都編終盤までの)に似てる要素があると私は思ってる。
珊瑚は飛来骨を修復するときに飛来骨の元となった妖怪達との会話で「この人がいないと生きていけない」というセリフ的にも(確かあったはず)弥勒に対して恋愛感情だけでなく志々雄を絶対視してた時期の宗次郎と似た心理状態でもあったのではないかと私は勝手に思ってる。

メタ的には悪役だから決別するし主人公側だから結ばれるのだと思う
志々雄と宗次郎がもし物語で主人公側だったら宗次郎が自分の生き方に疑問を持たないまま志々雄との関係を維持してたと思うし、弥勒と珊瑚がもし物語で悪役として登場したとしたら弥勒と別れることがあっても珊瑚は一人で生きていけるように自分の生き方を変える流れが物語に出てきたのではないかと自分の想像だけど思ってる。

追記
自分の場合は創作物では女性キャラが悪の要素なしで被害者的な立場が固定されてることより(被害者叩きの意図はありません)、女性キャラが好きな人(特に男性キャラ)に対して「聖なる依存」してることの方が気になると自分で思う。

上で書いたこととほとんど同じ内容になるけど、男性キャラ(瀬田宗次郎)が特定の相手を絶対視して生きてたら悪役だからというのもあるけど物語で「生き方が間違ってた」という結論になるから厳しいなと思った記憶が自分にある。

珊瑚が敵の罠にハマってりんを〇しそうになったときの判断ミスはその後の殺生丸との会話でも本人の落ち度として見なされて物語の中で相対化する視点が入ってるのに「好きな人に依存し過ぎてることが判断ミスに繋がったことにはツッコミが入らない」理由について、飛来骨の修復のエピソードのときの妖怪達との会話で「珊瑚の判断基準は弥勒を基準に決まる」ことが珊瑚のセリフで明示されてて物語のルールとして「キャラの判断に対して1個前のエピソードと同じ内容になるツッコミは次のエピソードではしない」から、殺生丸との会話のときは弥勒と関係なく珊瑚本人の判断ミスみたいな構図になったのではないかと私は思ってる。

珊瑚が飛来骨と引き換えに弥勒のために敵を倒した話と敵の罠で弥勒の風穴問題解決のためにりんを〇しそうになった話は飛来骨・飛来骨の元となった妖怪とりん・殺生丸が対比としてメタ的に同じ立場になるから、「時系列が前後してるだけで同じ構図の話」だと私は思ってる。

珊瑚も弥勒も自分は好きで興味あるから分析してるところはあるし、珊瑚は弥勒への恋愛感情とは別に「物語のルール(文脈)によって好きな人へ依存させられてる」構図になってると私は思ってる。