るろうに剣心の人誅編は縁視点だと「薫を巴と同一の存在ではなく他者と認識するまで」の話ではないかと思う

青年誌だとしても縁は薫を生かしたと思う
単行本に「少年誌じゃなかったら縁は薫を生かしてない(意訳)」と書いてあった記憶が自分にあるけど(確か)、るろうに剣心がもし青年誌の作品で物語のテーマ通りにストーリーが進行したとしても人誅編で本当に縁が薫が〇したかどうかはわからないのではないかと私は思ってる。

理由は縁が薫を〇してしまうとメタ的には「薫は姉(巴)と同一の存在ではないことを縁が認識する機会がないことで薫を姉(巴)と同一視した状態のまま」になるから、薫が姉(巴)と同一の存在ではなく他者だということを縁が最終的に認識するために青年誌だとしても縁は薫を生かすしかないのではないかと自分の想像だけど思ってる。

人誅編の最後に剣心ではなく薫の方が(剣心の許可を取った上で)縁に巴の日記を渡してる理由はメタ的には薫と巴が同一の存在ではないことを薫自身で縁に証明するためではないかと私は思ってる。