「公式が解釈違い」という発想は「作り手が素(無自覚)で物語の文脈と無関係にキャラを変化させてる」という見方から生まれたものだと思う

「読み手の主観」で物語の文脈に沿ってないキャラの変化を感じたときに「公式が解釈違い」という感覚に読み手がなるのだと思う(作り手の意図と無関係に)
自分の推測になるけど、「作り手が素(無自覚)でキャラの心理をわかってないから(読み手の主観で)キャラの正しい心理を作り手に教えてあげよう」という発想から公式が解釈違いという結論が出てくるのではないかと私は思ってる。
作り手がキャラの心理をわかってないというのは客観的な根拠(キャラの心理について語る等)がない限りは「読み手の主観」だから、公式が解釈違いは「読み手が自分(読み手自身)の主観に無自覚」のとき発生する感覚だと私は勝手に思ってる。

追記 「自分だったらこうする」について
自分が相手だったらこのときこうするのが当たり前」という感覚は「相手(他人)は自分と同一人物ではない別人」という前提がない状態で物事を考えてるときに発生する感覚じゃないかと私は勝手に思ってる。
自分が相手の体を乗っ取れるという前提で出やすい発想だと私は推測してる。