進撃の巨人のフリッツ王・始祖ユミルの対比について

進撃の巨人のネタバレあります

フリッツ王→エレン、始祖ユミル→ミカサという対比ではないかと思う
進撃の巨人の終盤はエレンとミカサがメタ的には「フリッツ王と始祖ユミルの別の可能性」を再現してるのではないかと思ってて、自分の見方が合ってればだけど進撃の巨人の物語は男性キャラは男性キャラ・女性キャラは女性キャラで同性のキャラで「受けてる抑圧」を再現する傾向(ヒストリアが「いい子」だったのは始祖ユミルが「いい子」だったことと同じ構図のように)があると私は勝手に思ってる。
終盤でエレンはフリッツ王の立場・ミカサが始祖ユミルの立場を引き受けて、実際のフリッツ王と始祖ユミルの能力・結末とは逆パターン(フリッツ王の方が巨人化・ユミルがフリッツ王を〇す)をメタ的に実現したんじゃないかと私は思ってる。

追記 エルヴィンについて
上の文章の内容から話変わるけど、エルヴィンが「自分の夢を見る」ことに罪悪感を感じてる理由は自分の命令一つで部下達(自分ではない他人)の命を左右する団長の立場にいながら「自分固有の夢」を見てることに対して「仲間に対する裏切り」という実感があるからだと私は思ってる(エルヴィン視点では父の仮説の正しさの証明は団長の立場で見るべき夢ではないという認識)
リヴァイがエルヴィンを巨人化させることを選ばなかったことはフリッツ王と始祖ユミルの関係性に掛かってる要素もあるんじゃないかと私は勝手に思ってる(アッカーマンの人間はメタ的には始祖ユミルの別の可能性でもあると思う)