創作物で自立してる女性キャラが悪役を経てから主人公パーティーに加入する理由について考えてみた

主人公パーティーのやり方に合わせるための儀式だと思う
悪役または悪までは行かなくても怪しい人という状態で物語に登場してから主人公パーティーに加入する女性キャラ(年齢的に大人が多い)について特にその条件に当てはまりそうだと思うのがFF2のレイラ・FF5のファリス・ゴールデンカムイのインカラマッだった。

元々その女性キャラが本人主導で物事を動かすタイプだから悪役を経て主人公パーティーに入ることでメタ的には「その女性キャラ主導ではなく主人公パーティーのやり方に合わせる」という儀式を済ませた状態ということになるから、「悪役の状態から物語に登場することに意味がある」のではないかと私は思ってる。

FF2とFF5の場合だと海賊達の方がレイラとファリスに合わせて(付いて行って)「レイラとファリスは海賊達の方には合わせないから(ファリスの男装はともかく)」、女性キャラの方が周囲の人間を引っ張っていく(付いて来られる)ポジションの場合はその女性キャラはメタ的には周りに合わせないキャラだから物語で悪役からスタートするんだと私は勝手に思ってる。

追記
この記事のタイトルと直接関係ないけどドラクエビルダーズ2でペロがメドーサボールに石化される一連のイベントをゲーム実況で見て自分が思ったことだけど、もしメドーサボールが石化した相手が「ペロではなくゴルドン」の方だったら(自分に注目しないゴルドンが許せないという理由だと仮定して)、嫌なのかそれとも好きでやってるのか「ゴルドンと荒くれ達に対するペロ本人の心情」がはっきり描写される展開になったと私は思ってる。

ペロが能動的にゴルドンと荒くれ達の注目を奪ったというよりは「ゴルドン達が能動的にメドーサボールに注目しない選択をしてる(=ペロに注目することをゴルドン達が能動的に選んでる)」だと私は思うけど、「ゴルドンと荒くれ達が誰に注目する・注目しないかを主体的に選んでることを隠してるような構図」になってるように自分には見える。

メタ的には「ゴルドンと荒くれ達が誰に注目するかしないかを主体的に選べないから、メドーサボールの方が自分から地下に潜る選択をする」という逆転の構図になってると私は思う。

ストーリーの最後にゴルドンが酒場と一体化してペロ達を見守る(=主体的に何を見るかを自分で決める)ことを自分の判断で選択したから、それで初めてペロはゴルドンを好きになれたんだと私は思ってる(ストーリー終盤までメタ的にはゴルドンは誰を見るか主体的に選べない状態だから)
ゴルドンはペロに対して「一目惚れ」→「見守る」とゴルドン視点が「受動的」→「能動的」にストーリーの最初と最後で変化したんだと私は思う。