FF5は「主人公が女性に過度の罪悪感を持たない」構図だから冒険物感が強い物語になったと思う

FF5は自分にとってわくわく感が強い作品だったと思う
FF5は船の墓場イベントのときのバッツ「(性別は)どっちでもいいさ、ファリスはファリスだ」のセリフ的にも「事情ある女性キャラに対して男性キャラが一方的に罪悪感を持たない」構図だから印象に残ったし、人間関係が友情でファリスがレナに姉妹であることを打ち明けたときとレナの母親と飛竜のときの回想は「女性キャラが(主体的に)葛藤してる」構図であることも自分のとって求めてたシチュエーションが多かったんだと思う。

自分にとっては一人勝ち系の恋愛物というより対等な友情だったと思う
恋愛の観点でキャラを見るのも私は好きだしどんな見方しても個人の自由だと思うけど、ゲーム本編に関しては主人公パーティーはバッツ一人勝ちのハーレムではなく性別関係なくみんな対等に友情やってると私は思ってる。バッツは女性キャラに過度の罪悪感を持たないキャラだからこそ世界に対して自由な冒険者の立場だったと思うし気楽に世界観に没頭できるという点でよかったと思う。
(FF4のカインとクロノクロスのカーシュみたいに恋愛で女性に遠慮するキャラも別の理由で好きではある)

キャラの掘り下げが物語終盤でもある理由
レナと飛竜の話が掘り下げられたのは第三世界のフェニックスの塔のイベントで物語の終盤の時期だからメインキャラの中ではキャラの背景が明かされるのがかなり遅くてFF5ガラフの記憶とか全体的に謎を引っ張る形でストーリーが作られてるような構成になってることに物語としてメタ的な理由があるんだと私は思ってる。
第二世界の孤島でファリスがレナに「なんで飛竜にそこまでするのか?(意訳)」と質問してるセリフがあったけど、「他キャラ視点でそのキャラの謎について疑問を持つ」という他者からの客観的な視点が入るやり取りがあって初めて「そのキャラの背景が明かされる」展開が成立するから、キャラの掘り下げイベントを序盤で全て終了させるのは物理的に不可能だからこそキャラの掘り下げが物語の終盤まで掛かってるストーリー構成になったんだと私は思う。