鉄血のオルフェンズの昭弘とドラクエビルダーズ2のペロはキャラの成り立ちが同じだと思うことについて

※鉄血のオルフェンズとドラクエビルダーズ2のオッカムル島のネタバレあります昭弘とペロはキャラの扱い(というかいじられ方)が同じ文脈っぽく見える鉄血のオルフェンズを自分が全ては把握してないから合ってないかもしれないけど、昭弘に対する「ガチムチ…

ゴールデンカムイでアシリパさんは違う視点だから尾形の悪を引き受けることができたんじゃないかと思う

※ゴールデンカムイのネタバレあります違う視点・違う立場だから悪(役)を引き受けることが可能なんだと思うアシリパさんは尾形と31巻の戦いでは対等だと私は思ってて、鶴見中尉と尾形の会話を聞いてて尾形の事情を理解してたとしてもアシリパは尾形と根本的…

葬送のフリーレンで北部高原のときのゲナウの相方がユーベルではない理由について考えてみた

※葬送のフリーレンのネタバレありますユーベルが髪はハサミで確実に切れるみたいに自分のイメージを魔法にするキャラだから、自分のイメージ(罪悪感)に囚われてるゲナウの相方としては合わないんだと思うユーベルはハサミで切れるイメージを自分が持ってる…

ロマサガ3のトーマス・サラ・エレンの関係はFF2のフリオニール・マリア・レオンハルトの関係と似てると思う

※FF2とロマサガ3のネタバレありますエレンはFF2のレオンハルトのような抑圧的な部分とFF5のバッツの自由さを併せ持ってるキャラだと思うFF2のレオンハルトは長兄としての立場から来る責任感から他人に対しても支配的な発想が出て帝国で一時は皇帝にまでなっ…

「地に足を付ける」物語の醍醐味がわかった気がする

※観音通りという作品ともう一つの作品への言及あります主人公は「母を奪われた」ことが原因で放蕩人生になったんだと思う「観音通り」という作品を小説投稿サイトで自分が読ませて頂いて思ったことについて、主人公の最初の女性が主人公の父と一緒に心中した…

ロマサガ3のロビンのように「結果から逆算して臨機応変に生き方(やり方)を変えられる」ことの方が逆説的に特権階級じゃないかと思う

※ロマサガ3と創作物全般についての話です「自分の思い入れのあるやり方と自分のアイデンティティが直結してる」場合はそのやり方じゃないと自己が崩壊するから、結果から逆算してやり方を選べないのではないかと思うロマサガ3や他の創作物も合わせて考えて自…

ロマサガ3のゴドウィンはロアーヌが専制君主制だから反乱を起こしたのかについて考えてみた

※ロマサガ3のネタバレありますもしロアーヌの政治形態が民主主義だったら革命を起こしても住民が専制君主制に反発して権力を掌握できなくて無意味だから、ゴドウィンは反乱しなかったのではないかと思うゴドウィンの反乱をゴドウィン視点で考えてみたら、ロ…

ロマサガ3のエレンは主人公のときに固有がイベントがなくて他の主人公で仲間になるときと印象がほとんど変わらないことに意味があるんじゃないかと思う

※ロマサガ3のネタバレありますロマサガ3の主人公候補の基準は「序盤のゴドウィンの事件の解決に当事者として関わってるキャラ」だから、エレンの個人としての生き方があまり変わらなくても主人公候補に入ってるんだと思ってる主人公に選べるキャラと主人公候…

ロマサガ3のカタリナと怪傑ロビンは生き方を変えた経緯が真逆なのではないかと思う

※ロマサガ3のネタバレあります。この記事の内容に変更あります。カタリナは出来事に対して受動的・ロビンは出来事に対して能動的に生き方を変えた点が真逆だと思うカタリナは敵に奪われたマスカレイドを取り返すため・ロビンはドフォーレ商会に反抗するため…

鬼滅の刃は「個人が共同体と同化しない」ことで鬼を倒す物語じゃないかと思う

※鬼滅の刃と鉄血のオルフェンズのネタバレあります鬼殺隊はお館様が歴史の集合体的な役割を果たすことで柱と隊士が個人であることを放棄せず共同体に所属できる仕組みだから鬼に勝利したのではないかと思う無限城の最終決戦でも柱と隊士は個人としての要素を…

自分の人生の主体は自分だと教えない親ほど「友達とか他人の戦略に従ってる状態を全肯定してくる」ことが厄介だと思う

善人かどうかとか関係なく「相手は自分とは別人」という前提が消えた状態で「相手の戦略・やり方に従ってれば絶対に大丈夫」と教える親は「子供の人生は子供本人」ということを奪ってておかしいと思う「子供の人生は子供本人が主体」ということを無視して「…

自分のことか他人のことかわかりにくい文章を自分が書いてたときはなってたときは「自分と他人のどっちの話か確認してほしい」と言いたかった気がする

他人のことなのか自分のことなのかどっちとも取れる文章だったときは「自分の話か他人の話か確認してほしい」と読んでる人に自分が思ってる気がする自分の話してるのに他人のこと言ってると決めつけられると困るし、他人の話してるのに自分の話してると決め…

創作で女性キャラが「いい子→秩序を壊す役割」という経緯を辿る事例は「女性は社会規範から相手に自分の考えを委ねる生き方を肯定されやすい」ことを示してるんじゃないかと思う

女性本人が主体的に考えて生きようとすると相手の考えに自分の全ては委ねないこととイコールで周囲と完全に調和することが不可能になることを悪判定されてると思う創作で女性キャラが「いい子→悪役」の経緯を辿る事例について、女性が自分で主体的に考えよう…

鉄血のオルフェンズの三日月とオルガの関係は初代のシャアとララァの関係に似てる気がする

※機動戦士ガンダム・逆襲のシャア・鉄血のオルフェンズのネタバレありますキャラの立ち位置は三日月→シャア、オルガ→ララァで対比になってそうなところはあると思うそんなに似てないかもしれないけど、シャアの「ララァは私の母になってくれたかも~」のセリ…

物語の方向性について、Gガンダムは「社会と対立しない」・鉄血のオルフェンズは「社会と対立する」点が真逆だと思う

※Gガンダムと鉄血のオルフェンズのネタバレあります。記事のタイトル変更してます鉄血のオルフェンズの鉄華団はGガンダムだと東方不敗の立ち位置に当たると思うオルガの「辿り着くべき場所」という発想は東方不敗の「ガンダムファイトが原因で地球の自然破壊…

FF2の大戦艦である選択肢でのマリアの心情について考えてみた

※FF2のネタバレありますFF2はマリアがヒルダに対して「自分とフリオニールとの関係において脅威になり得る」と認識してる前提で物語が成立してるのではないかと思う大戦艦でヒルダの救出前に最深部に行くとマリア「爆破しましょう」フリオニール「まだ王女を…

「真実は私だけが知っている」で南さんは神谷さんに対してどんな夢を見せてたのか考えてみた

※「真実は私だけが知っている」のストーリーの核心部分の話あります神谷さんは「南と進藤に手加減された対峙だったことに無自覚」という構図であることに意味があると思う南の真実は南本人にしかわからないとしても南が学校で孤立した描写とは裏腹に物語終盤…

鉄血のオルフェンズの三日月とゴールデンカムイのアシリパは「物語の世界観の基準になってる性別の社会規範に対して本人の性別の社会規範が逆転することで一致してるキャラ」だと思う

※鉄血のオルフェンズとゴールデンカムイのネタバレあります本人の性別の社会規範が逆転してることで物語の世界観の基準となる性別の社会規範と一致してる点では三日月とアシリパのキャラのメタ的な成り立ちは似てると思う鉄血のオルフェンズの鉄火団は女性の…

ドラクエ7の過去の砂漠の女王フェデルとハディートの考え方の違いについて

※ドラクエ7のネタバレありますフェデルは女性の社会規範の「横並び(協調性)」の前提で城の人間が全滅した不幸に絶望し、ハディートは男性の社会規範「成果(競争)」の前提で生き残った人のために魔物を倒そうとしたと思うドラクエ7の過去の砂漠の女王フェ…

親が子供に対して一番やってはいけないことは「自分が加害者になる可能性を想定する権利を奪うこと」だと思う

※この記事に被害者叩きの意図はありません常に自分が被害者になるパターンしか想定させないことで自分に責任が発生する失敗をしたときに「自分の言動に責任が発生する感覚が身に付きにくい」と思う自分の行動は常に自分に返ってくる以上は「自分が加害者にな…

「スキップとローファー」で他人を雑に扱い・自分が雑に扱われがどの登場人物でも一貫してる理由は「システムに対して個人は受け身」であることを示してるのではないかと思う

※スキップとローファーのネタバレあります「自分が雑に扱われた」だけだったら本人視点だと「悪」にならないという点で楽なのに「他人を雑に扱う」とセットの描写である理由は「システムの方を動かせないから」だと思う1・2巻を読んだので自分が把握した範囲…

親が「言語化できるようになることの尊さを舐めてる」タイプは子供にどれだけ勉強させても習い事させても根本的に方向性がズレてて意味ないと思う

上手く言語化できること以上に尊いことは自分にとって存在しなかったと思う習い事も国語と数学の確率以外の勉強が今では無意味だったと自分が思う理由が「言語化できるようになることの尊さ感じられない」からで、言葉で上手く説明できなかったことを言語化…

言葉でコミュニケーション取れる恋愛物は「ご都合主義でチート」だと思ってた

メインキャラが「言語化を難なくこなせる」タイプばかりだと「ご都合主義」に見える自分の感覚だと両方のキャラが言葉で言い返したり・自分の説明ができる時点で「言葉でコミュニケーションが綺麗に成立することがご都合主義」だと私は思ってる。「人間が複…

ゴールデンカムイの勇作と尾形は「自分が自尊感情を持つ権利があることを知らないから」物語から退場したと思う

勇作と尾形がそれぞれ別の全体主義っぽさがあるのは「自尊」がないからだと思う勇作と尾形が物語で詰む理由は「自分が不利な条件を気付く視点がなかったから」だと私は思ってて、物語のルール的に自尊感情がないことで逆説的に他人も尊重できなくなって勇作…

「優しさと思いやりがあれば間違わない」は「加害者になる可能性を想定したら加害者になる」と同じ理屈だと思う

因果関係が逆になってるようにしか見えない優しさと思いやりがあっても知識がなかったらよかれと思って間違うこともあるし、加害者になる(間違う)可能性を想定しないことで「自分が想定外に加害者になってしまうこともある」という前提がなくなって、自分…

「ひぐらしのなく頃に」の自分にとっての面白さは事実を相対化する物語であることだと思う

※ひぐらしのなく頃にのネタバレあります。この記事のタイトルを変更してます。初見のときは圭一視点で「何がどうなってるかわからない」感が楽しかった記憶がある創作物で純粋に楽しかった記憶がある物語はひぐらしで、圭一視点で始まってレナとか魅音とかい…

創作物で「相手の悪を引き受ける」構図について

相手の悪を引き受けて因果関係が逆転することでメタ的には「他者が存在しない」世界なんだと思う例えば大人キャラに悪(間違ってる)部分があって子供も悪行がある場合に「子供本人だけに問題がある」とする構図は「子供が大人の悪を引き受けて物事の因果関…

ゴールデンカムイと帝一の國で自分が感じたことについて

※ゴールデンカムイと帝一の國のネタバレあります主人公(に近い)キャラの場合は「父」を相対化し、悪役の場合は子供の方が悪を引き受けて父を絶対化する法則が物語にあると思う物語の舞台も世界観も違う2つの作品だけど共通点があるとしたら「物語が父を完…

ゴールデンカムイで杉元と鯉登の考え方の違いについて、杉元は「個人を相対化しない」・鯉登は「個人を相対化する」のではないかと思う

敵・味方の区別がなくなると物語が破綻するから主人公の杉元は「個人を相対化しない」のだと思う鯉登の方が物語の最後まで成長して変化してるように読み手視点で見える理由は「杉元の価値観が初期から一貫してるから」相対的に鯉登の変化が大成長に見えるか…

ゴールデンカムイの尾形は考えたら「何に」負けるのかについて自分で考えてみた

※ゴールデンカムイのストーリー最後までネタバレあります「絶対的な正しさ」に対して無力だったと思う31巻尾形の「自分で間違った道を選んだ」というセリフは逆説的に「自分は人生で絶対的に正しい方向性を選ぼうと思えば確実に選べる」という前提になってる…