ゴールデンカムイで杉元と鯉登の考え方の違いについて、杉元は「個人を相対化しない」・鯉登は「個人を相対化する」のではないかと思う

敵・味方の区別がなくなると物語が破綻するから主人公の杉元は「個人を相対化しない」のだと思う
鯉登の方が物語の最後まで成長して変化してるように読み手視点で見える理由は「杉元の価値観が初期から一貫してるから」相対的に鯉登の変化が大成長に見えるからというのはあると私は勝手に思ってる。
杉元は勇作と話が若干噛み合わず・尾形の背景に興味を持たなかった理由は全てが杉元の視点で何もかも話が通じて相手の事情も理解できてしまうと「全ての事象が一つに収束してしまって物語が破綻する」から、杉元は勇作と尾形を個人として相対化しないんだと私は思ってる。
鯉登の場合は相手視点を知って「個人を相対化する」ことを物語で要求されるキャラなんだと私は勝手に思ってる。