ゴールデンカムイの尾形は考えたら「何に」負けるのかについて自分で考えてみた

ゴールデンカムイのストーリー最後までネタバレあります

「絶対的な正しさ」に対して無力だったと思う
31巻尾形の「自分で間違った道を選んだ」というセリフは逆説的に「自分は人生で絶対的に正しい方向性を選ぼうと思えば確実に選べる」という前提になってることに私は違和感あって、尾形の人生の是非というより絶対的に正しさがあると物語の文脈で認めてる構図に対して「絶対的な正しさがあるという前提が尾形を間違った方向に行かせた」のではないかと私は勝手に思ってる。

17巻尾形と勇作の会話について

尾形の「みんな俺と同じはずだ」と勇作の「罪悪感を感じない人間は~いいはずありません」が1対1の個人的な会話なのに2人とも「主語が大きい」理由について、尾形と勇作の関係自体は軍規と階級を無視したような個人的な関係性だけど「尾形も勇作も全体主義の枠組みで自分の価値観を語る」から、「尾形と勇作は全体主義の枠組みの中でしか会話できない」のではないかと私は勝手に思ってる(個人の価値観をお互い語ってるはずなのに全体主義を相対化できないから全体主義の話に収束せざるを得ないみたいな)

追記 杉元について
杉元は「全体主義を相対化して個人として行動できる」からアシリパさんと一緒に冒険できたんだけど、「全体主義に組み込まれず個人として行動することが可能なのか?」という点で杉元に共感しにくいと私は思うこともある。
メタ的には全体主義に完全に組み込まれたら物語が根本的に成立しなくなるから、主人公の杉元は全体主義を相対化して個人として生きてるんだと私は思ってる。