鬼滅の刃は「力を制御(コントロール)しないことを悪」として、戦闘以外の能力も有力さと見なして力の描写が細かい物語だと思う・狛治と伊黒について

鬼滅の刃のネタバレあります。この記事の内容は前と変更してます

「力」の描写が細かい物語だと思う
鬼滅の刃は鬼殺隊も鬼も人間の悪党も細かく「力」として丁寧に描写してる物語だと私は思ってて、鬼と戦えなかったアオイは料理や看護等の戦闘以外の能力も炭治郎との会話から「有力」としてカウントされる描写もあってそこが鬼滅の刃の面白さだと私は思ってる。
人間の悪党も人間を襲撃する鬼も力があること自体が悪ではなく「自分の力を制御しないことを悪」という前提が物語にあると私は勝手に思ってる。だから鬼だけが悪いという描写にはなってないんだと思う。

狛治と伊黒について
猗窩座の人間時代の話は「隣の道場の息子が自暴自棄になって毒を使う→狛治が自暴自棄になって鬼になる」という自暴自棄が連鎖して「隣の道場の息子の執念で狛治を鬼にした」ような構図で、猗窩座と伊黒の組み合わせでは本編で出会わず戦うことがない理由は隣の道場の息子と狛治の関係は伊黒と従姉妹達の関係と似てて「伊黒が狛治と同じ状況(大事な人を〇される)になったときに同じ行動を取る(鬼になる)可能性がある」からではないかと私は勝手に思ってる。
メタ的には狛治が鬼にならず人間として生きる方を選ぶ別の可能性が伊黒で、伊黒が鬼になる方を選ぶ別の可能性が狛治だと私は思ってる。