創作で「身体について張り合う」キャラはその性別の社会規範を強いられていない状態を異性で実現してる状態ではないかと思う

※この記事は創作での性別の社会規範の描写と関連して筋肉についての言及と前に書いた内容から追記・変更あります。ゴールデンカムイ鋼の錬金術師のネタバレあります。

ゴールデンカムイの鯉登は女性の社会規範を強いられてない女性キャラのような立ち位置で男性の社会規範を部分的にやってる男性キャラだと思う
ゴールデンカムイ樺太編のスチェンカとバーニャを「筋肉を張り合ってる」としてカウントすると、鯉登は男性の社会規範に忠実なタイプではなさそうな描写だから男性キャラだけど女性の社会規範を強いられてない女性キャラの立場に近いと私は思ってる。
鶴見中尉と鯉登の関係は21巻までは鶴見ー主体 鯉登ー客体という関係だと思うけど、21巻で誘拐劇の事実に気付いてから徐々に主体ー客体だった関係性が変化して30巻で鯉登の方から当時の誘拐劇の話を鶴見中尉に言ってからは鶴見中尉と鯉登の関係は完全に主体ー主体になったと私は思う。

アームストロング姉弟は身体について漫画のお約束を制覇してると思う
ハガレンのアームストロング少佐はイシュヴァールの戦場では臆病者と評価されてて男性の社会規範に忠実なタイプじゃないから、筋肉を張り合うのは女性の社会規範を強いられなかった女性キャラ的な意味があるんじゃないかと私は思ってる。
単行本のおまけページでアームストロング姉弟の身体についてイラストで言及あるのは姉のオリヴィエが女性キャラだけど男性の社会規範を強いられなかった男性キャラの立場に近いことを示してると私は思う(ハガレンは漫画のお約束に当たる胸と筋肉の張り合いについておまけを含めたら両方相対化してる作品だと思う)