「悪意がない」物語は排斥する側の視点で成立してるのではないかと思う

※本記事は物語の登場人物の悪意について独自の解釈があります

主人公を異物扱いする視点のキャラがいないのは主人公が世界を排斥する側だからだと思う
主要キャラ以外の他人が善良な人々しか出て来なくて根本的に悪意を持ってる人物が出て来ない構造の物語は主人公が世界に気持ち悪い異物と見なされず世界の方を異物と見なして排斥することで「悪意がない(善意しかない)」構図になってるのではないかと私は勝手に思ってる。
悪意がある構造の物語の場合は主人公に対して異物と見なして相対化する視点のキャラがいて主人公視点とイコールである読み手(視聴者)視点に対して「脅威」を感じさせるから悪意のない物語より退屈しにくい物語になりやすいのではないかと思う。