鬼滅の刃は「個人が共同体と同化しない」ことで鬼を倒す物語じゃないかと思う

鬼滅の刃鉄血のオルフェンズのネタバレあります

鬼殺隊はお館様が歴史の集合体的な役割を果たすことで柱と隊士が個人であることを放棄せず共同体に所属できる仕組みだから鬼に勝利したのではないかと思う
無限城の最終決戦でも柱と隊士は個人としての要素を捨てずに上弦の鬼と戦える理由はお館様(耀哉)が人の想いの歴史の集合体のような役割を果たして、「集合体との同化を引き受ける」ことでお館以外の隊士達は「個人を捨てて集合体と同化しなくて済む」から、柱と隊士は個人でありながら鬼殺隊の共同体に所属するけど同化せずに鬼に勝利する物語が成立したんじゃないかと私は勝手に思ってる。
鉄血のオルフェンズの場合は団長のオルガが歴史の集合体みたいな存在ではなくそのまま個人で集合体と同化できないから、他のメンバーが個人であることを放棄することで鉄華団と同化する構図になってると私は思う。

炭治郎が柱個人と関わる展開が多い理由について
鬼滅で炭治郎が初期にしのぶに怒ってるか確認したり・柱合会議のときから嫌いな実弥に対しても玄弥との関係のことで首を突っ込んだりして「柱達全員の個人の部分を認識して向き合うことで柱自身も個人として自分と向き合った」から、鬼殺隊は個人としての強さを持ったまま集団としての強さを発揮して無惨を倒す物語になったんじゃないかと私は思う。
17巻で鱗滝の「今までの戦いで~巨大な装置だとしたら、炭治郎と禰豆子が鬼殺隊に来てから歯車が周り始めた」というセリフは炭治郎が「個人として柱や隊士個人と関わること」・禰豆子を連れて鬼殺隊に入ることで「鬼を個人として認識すること」が物語の文脈的に必須ということを示してると私は思ってる。