親が「言語化できるようになることの尊さを舐めてる」タイプは子供にどれだけ勉強させても習い事させても根本的に方向性がズレてて意味ないと思う

上手く言語化できること以上に尊いことは自分にとって存在しなかったと思う
習い事も国語と数学の確率以外の勉強が今では無意味だったと自分が思う理由が「言語化できるようになることの尊さ感じられない」からで、言葉で上手く説明できなかったことを言語化できるようになることの尊さをわかってない親は「習い事を教わった通りに再現することだけ」に固執したり、親が重要だと思ってることと実際に子供視点で重要なスキルがズレてるから「子供視点ではそこだけムキになってこだわって他の部分ができてなくて他人に指摘されまくる」という「そもそも重視するところがズレてた」悪循環を生み出すから不毛だと私は思ってる。