女性の社会規範には「女性本人が他人ではなく自分自身の機嫌を取る権利がある」と変化してほしいと思うことについて 「心を開く」について性別の社会規範

※下書きに戻して新規で書くと二度手間になるので、同じ記事で前と内容を変更してます

女性の社会規範には「他人ではなく自分の機嫌を取る権利がある」ことをむしろ推奨してほしいと思う
女性の社会規範が「他人主体」を前提とした内容で構成されてるから、「全力で他人の機嫌(=自分の愛想の良さ)を気にして、他人に集中するから自分の気持ちを無視してわからなくなる」みたいなことが世の中で少なくないんじゃないかと私は勝手に予想してて、だから女性の社会規範には「他人の機嫌は取らなくていいから自分で自分の機嫌を取っていい」と「女性主体」になるように内容が変化してほしいと私は思ってる。

他人に心を開く・開かないの話は片方の規範だけで考えると「真逆」になるから、女性・男性の両方の規範を比較して相対化した方がバランス取れると思う
これが「登山」だったら山に対して100%心を開けとはならずに「山を舐めるな警戒(対策)しろ」となるのが当たり前なのに、対人関係については女性の社会規範だと「他人を信じない(心を開かない)ことを悪判定」することに対して男性の社会規範は「他人を安易に信じる(心を開く)ことを悪判定」するから(たぶん)、女性の社会規範の方が「他人に心を開かない(信じない)」ことに対して「男性の社会規範と比べると相対的に厳しい」ことでダブスタになってると私は勝手に思ってる。
男性の社会規範は他人を信じない(心を開かない)ことを選ぶ権利があるのに対して女性の社会規範は他人を信じない(心を開かない)ことを悪と見なされるから、女性の方が「他人を信じるかどうかそもそも選ぶ権利がない」状態になりやすい傾向があると私は思ってる。