日本は勤労の義務と生活するのにお金が必須なことから就職して集団で働くことへの強制力が高い社会であるという観点がなくて「労働すること自体が個人の問題と見なされる」ことが気になる

集団で労働することが向かない人が就職することは本人の選択以前に「社会によるマッチポンプ」だと思う
日本は労働してないこと自体を勝手に悪と見なす風潮があったり・就職することへの強制力が根本的に高い社会だから「集団で労働することが向かない人が生活のために就職せざるを得ない→人間関係が上手くいかないことがある」という流れが発生することは就職することを選んだこと自体は本人の選択だとしても、集団で労働する環境に就職せざるを得ないのは勤労の義務があって「生きるだけでもお金が絶対に必要である日本社会によるマッチポンプ」だと私は思ってる。

社会保障制度をなぜか叩く(叩くこと自体が他人への迷惑になるしセーフティネットがなくなれば自分の首を絞めるだけなのに)人がなぜその思想になったのかについては自分の想像になるけど、本来は「労働することで自分の穢れ(=悪性)を浄化する」という前提だったものが「労働してないことを穢れ(=悪性)と見なす考え方に逆転した思想をそのまま信じたから」ではないかと私は思ってる。


日本は根本的に「他人と関わることへの強制力が高い」社会だと思う
日本が労働自体への強制力も少なくはないけど、根本的に「他人と関わることへの強制力が高い・他人と関わることを絶対的に良いこととする風潮がある(他人と関わらないことを悪と見なされる)」社会だと私は思うから、他人と関わることへの強制力が根本的に下がって「生活費のために向いてない環境で労働せざるを得ないマッチポンプを社会の方が起こさせない仕組み」が可能なら出来てほしいと私は思う。