他人から一方的に設定されたノルマを達成できないと「苦手意識」・自分から能動的に設定したノルマを達成すると「得意意識」になるんじゃないかと思う

英語と国語は自分から能動的に勉強して得意になったような記憶がある
少なくとも中学生のときは英語と国語は得意な方で、英語は最初の頃に同級生が英単語とかをちゃんとわかってるのに自分だけわかってないことが授業中にまずいと思ってそのときから授業のために英語の予習・復讐を時間をかけてするようにしたら、その後も学校の英語は能動的に勉強できるようになった記憶がある(今は英語の勉強してないけど)

そんなに興味ないのに相手から一方的に指摘されることは苦手意識の方が上回ったと思う
本心ではあまりやりたくないのにいろいろな事情で既に選んでしまったとかやらなくてはいけないことで他人や社会の都合でノルマを設定されたり・出来てないと指摘されたことについては苦手意識ばかり残ったような記憶がある。

「相手に対して一方的にノルマを設定し放題」という状態が永続する環境が良くないんだと思う
全てに万遍なくプレッシャーを掛けると得意なことは「物足りない」・苦手なことは「無限に終わらない」という体感になると私は思ってる。
自分が特に他人から一方的にノルマ・義務を設定されることが嫌いな方だからそう感じるというのはあると思うけど。

追記
突然思い付いたことで話変わるけど、葬送のフリーレンの黄金郷のマハトがデンケンに対して「師匠」の役割が務まった理由は「悪意と罪悪感がないから弟子に魔法を教えたり稽古をつけることについて疑問を持たずにできるから」じゃないかと私は思ってる。
マハトと出会ったときのグリュックのセリフからマハトは正義感もないから純粋に師匠の役割に専念できたんだと思う。

魔族であるマハトが人間のデンケンと師弟関係が成立した理由はグリュックの指示以外の理由だと「マハトは正義感がないから人間であるデンケンを魔族の敵とは思わず将来的に自分を倒す可能性があることに面白さを感じたから」善悪を超えた師弟関係が成立したと私は思ってる。