葬送のフリーレンの断頭台のアウラの結末は他者の認識が機能した結果だと思う

服従の天秤の本質は本人固有の認識が別の他者に機能することだと思う
アウラについて思い付いたことがあるから書くけど、断頭台のアウラと黄金郷のマハトは七崩賢同士で対比になってるとしたら「マハトで例えると支配の石環が作用したルートがアウラの結末」ではないかと私は思ってる。
逆に言うとマハトは支配の石環が作用しなかったルートだと思う。

アウラ服従の天秤の性質は「魔力が強い方の認識と命令で相手を支配する」ことで支配された側視点だと「相手の認識が自分の認識を上書きしてる状態」だから、フリーレンがアウラに魔力で勝つことでフリーレンの認識と命令がアウラに機能して「本来魔族には持てない悪意の感情と認識をアウラが疑似的に持ってる」状態になって、マハトで言うところの支配の石環が魔族なのに機能したような感じだと私は思ってる(独自の解釈強めだから今まで書いた考察以上に自分の想像になるけど)