自分の言葉に責任が発生する・言葉は無力ではないという感覚は「上下関係とは別に言葉が機能する」環境がないと身に付きにくいのではないかと思う

自分の言葉の威力を低く見積もり過ぎて高い威力になる事例が少なくない気がする
能動的に自分の発した言葉に対して責任を取ろうという感覚は「上の立場の人の言う通りにすればいいという発想と真逆」だと私は思うから、師匠の言う通りにしてればいい・上の立場の人を敬えという上下関係のルールだけ絶対視すると相手の言動に関心がありすぎて「自分自身に対して無関心になってる」ことで自分自身の言動に責任が発生するという実感を持ちにくくなるのではないかと私は勝手に思ってる。

自分自身に興味を持てない状態になってたと思う
昔仕事で一方的に怒られまくって〇ぬことしか頭になかった(わざとじゃなく自動的にそういう思考になってた)時期は「自分自身に興味を持てなくなってた」から、相手が正しいと思いすぎて自分に興味ゼロ状態が続いてるような感じに一時的になってたと思う。
子供のときから母親が友達と距離が近いことをものすごくいいことのように言ってて「自分より友達の方が価値が高い」と自分に刷り込まれて、感情じゃなく機械的に論理で考えると「自分と他人の存在そのものの価値は同じ」と勉強とか能力の観点とは別に「存在自体の価値」について私は理屈で納得できるようになった気がする。