母親の言う「思想家」の定義がわかった気がする

「社会に対して自分が積極的に責任を取りに行く」という発想と真逆な気がする
自分の母親が会話の中で使ってた「思想家」という言葉が辞書通りの意味で言ってないような感覚が前から自分にあったから他人からしたら大したことないことだと思うけど今回そのことについて考えてみた。

自分が一方的に他人や社会への責任を考えると思想家として見なされるっぽい
母親は今までの会話で思想家は「社会や他人に対する自分の思想が強すぎるから」極端な行動まで行くというようなことをたまに言ってて、「思想が強すぎる」という言葉のニュアンスは「他人や社会へ自分が一方的に責任を感じてる(一方的だから他者視点がない)」ということなのかなと私は今なら思う(思想を理由にした事件への擁護ではないです)

思想家にさえならなければ大丈夫という発想もまた思想家だと思う
人間関係でもパスワードとかの設定でも自分が能動的にやったことは自分に責任が発生するのにお客さんの立場が存在する前提で「友達を作って遊べばいい」「テレビ(特にお笑い)を見れば対人コミュニケーションは出来るようになる」みたいなことを脳天気に言ってたことは怒りしかない。人生は常に自分の行動に責任が問われるということの方を強調して口を酸っぱくして教えなかったことが自分にとっては親に対する怒りの理由になってると思う。

話が変わるけど学校でよく言う人助けとか他人を救済を推奨して他人への責任持たせようとすることについて、自分と他人は同一人物じゃないという前提が抜けて「他人を能動的に救済しないことを悪判定」することに違和感ある(他人に対して一方的に責任を感じさせようとして責任を増やしてることに違和感ある)