創作物で「女性キャラに常に明るさ(愛想の良さ)を求めない」構図について考えてみた

※FF2・FF5FF7鬼滅の刃のネタバレあります

自分の本心に反して他人(社会)から愛嬌・愛想の良さを求められてる状態は女性の社会規範由来だと思う

タイトルと矛盾するけど「女性が明るい・男性が暗い」という組み合わせも自分は好きだけど、男性キャラで明るい・女性キャラで「負の感情が出てる場面が物語に少なくとも1個はある」FF2のフリオニールとマリア・FF5のバッツとファリスの関係は恋愛じゃなくても(恋愛でも)「現実では不可能なレベルで常に他人への愛嬌・愛想の良さが女性キャラに求められてない」ことがFF2とFF5の物語の読みやすさの理由だと私は思ってる。

女性に明るさ(愛嬌)を求めること自体が女性の社会規範から来たものだと私は思ってるから、女性キャラがめちゃくちゃ明るい・男性キャラが暗いという組み合わせは「従来の性別の社会規範通り」で嫌にならないのかと若干不思議に思うことが自分にある。
上で書いた通り「女性で明るい・男性で暗い」の組み合わせ自体は矛盾してるようだけどアリだと思うから、性別の社会規範を深読みしなければ物語として割り切って楽しめることだとは思う。


FF7のティファ・鬼滅の刃のしのぶみたいに「自分の中の負の感情を自分で認めたがらない女性キャラ」は女性の社会規範で他者への愛嬌・愛想の良さの「正の感情」だけ求められた反動で、物語前半のティファはクラウドにニブルヘイム事件の正確な記憶について自分から聞けない(物語終盤になって本当のことをクラウドに言った)・しのぶは炭治郎に笑顔だけど鬼への怒りが普段でもあることを突っ込まれる流れが物語にあるんだと私は思ってる。