結局は「個人として生きる前提」がなかったんだと思う

自分がリアルで学校とかに所属してたとき(コロナ禍以前の時代)の自分の経験での話だけど「どこにも所属しないのはおかしい」的な前提で話が進むから「所属することに対する強制力が高い」環境で「個人として生きる選択肢がそもそも最初からない」みたいな状況だったことが昔の自分が精神的に詰んでた理由だと今なら思う。


あと話変わるけど、私も人間だからどの創作物・どの描写に対してでも自分の感じたこと・気持ちを無視して「何もかも全面的に肯定することはさすがにできない」から、作品とか物語の構図に対して自分が否定的な感想も書きたいと思う(一方的で申し訳ないけど)

創作物について引っかかる・気になる描写以外は無闇にはそもそも否定的な感想はなるべく書きたくないし、それでも気になる部分を無視して自分の感覚も無視して全面的に肯定すると「自分の心がおかしくなる」から、なるべく過激な言い方にならないようにするから物語の構図や気になる点についてある程度は自由に感想を言うのは表現の自由の範疇だと私は思ってる。