鬼滅の刃の冨岡は柱になれるかどうかも運に左右されるという認識だから「柱という共同体に馴染もうとしない」のではないかと思う・柱が生き残る基準について

鬼滅の刃のネタバレあります

錆兎の件から最終選抜試験が運ゲーという認識で隊士の延長線上にある柱になることも運に左右されるから「柱という立場の人間に馴染みたがらない」のではないかと思う
冨岡の場合は自分のせいで蔦子姉さんと錆兎は犠牲になって最終選抜試験に生き残れるかどうかは本人の実力と関係なく運ゲーみたいなものという認識をしてるから、隊士の延長線上にある柱の立場になれるかどうかも運に左右されるという前提が冨岡の中にあって「集合体としての柱に馴染むことを意識しない」のではないかと私は勝手に思ってる。
柱合会議の数日後の冨岡と炭治郎の会話では不死川に対して友好的な態度を取りたいみたいな話になったと思うけど、冨岡は仲間と仲良くしたいという気持ちは多少あっても「馴染む」ということにはあまり興味を持ってないと私は思ってる。

追記 柱が生き残る基準について
引退した宇髄を含めて冨岡と実弥の決戦後に生き残った柱としての共通点は「鬼殺隊のシステムかルールに疑問を持った経験があること」だと私は思ってて、宇髄は遊郭編で一般人より妻3人(まきを・須磨・雛鶴)の方が大事という内容のセリフがあって「鬼殺隊のルールの優先順位に従わない価値観」をしてて、冨岡は生き残ってさえいれば実力と関係なく生き残る最終選抜試験の内容への疑問を持ってて(1巻の「生殺与奪の権を握らせるな」と錆兎についての話から)、実弥は「お館」という立場に疑問を持って食ってかかった経験がメタ視点では鬼滅の物語を生き残る理由になってると私は思ってる。