「ぼっち」という概念は「自分自身に興味を持つこと」を悪とする前提から生まれたのではないかと思う

※本記事は自分が思ったことを特に根拠なく書いてるので読む方は注意してください

自分で自分に興味を持つことを肯定される環境は当たり前ではないと思う
他人は「自分が一人ではないことを証明する道具として存在してるわけじゃない」から友達がいる・いないとか他人と関係を持つことを無条件に良いことと見なすのは無責任だと私は思ってて、他人との関係がないことを悪として友達とか恋愛とかで他人と繋がることを煽る日本社会の常識が自分を捨てる極端な推し活や他人に過剰に依存する人間関係(社会問題になった事例は特に)をマッチポンプのように発生させてきたと私は思う。