「絶対的な善人」という見方について

直接関わりのない人の不祥事等のニュースに対して「悪いことする人間だと思わなかった」みたいな反応することが不思議だった
少し前にテレビで不祥事に関するニュースがあったときに自分の父親が「紳士だと思ってた。不祥事を起こす人間だと思わなかった」みたいなことを言ってたことがあって、「自分ではない他人が何を考えてるか・どんな行動に出るか」なんて他人は自分と同一人物ではない以上わかるわけないのに、直接関わりのない人間が「絶対的な善人」だと自分の父がニュースを見るまで決めつけてた理由がよくわからないなと思った記憶が自分にある。
ニュースを見るまでどういう人間かわからなかったというのは他人視点だとそうなって当たり前だと思うけど「絶対的な善人がいる」という発想は裏を返すと「絶対的な悪人・ク〇」がいるということでもあるから、行動に対して功罪を判定するのではなくこの人物は絶対的な善・絶対的な悪と決めつけるのはおかしいと私は思う。
2022年後半~2023年前半くらいの時期に父親が今より機嫌が悪かった理由はコ〇ナの第〇波で社会全体での感染拡大のピークと家の事情だけでなく、「究極の善人概念と自分が比較されてク〇判定されてた」というのも理由としてあるんじゃないかと私は今なら思う。