※若干の追記・変更あります。ロマサガ3のカタリナとミカエルについて言及あります
女性は「失敗や間違いをしない生き物」として社会的に認識されてることが「女性が自分の失敗に対して潔癖になって認められなくなる」原因じゃないかと思う
小学生のとき「男子の〇〇より態度悪い」的なことを先生に注意されたような記憶が自分にあって「完全に同じ内容の間違いだったら男性より女性の方が印象が悪くなる」のではないかと私は当時のことを思ってて(態度については自分のせいでも)、「女性は男性より失敗・間違いが少ない生き物」という認識を「当の女性自身でさえ持ってる(他の女性に対しても)」ことが「そこまで重大な間違いじゃないことさえ自分の間違いを認められなくなる」ことに繋がってるんじゃないかと私は思ってる。
そのときの先生は確か女性で「男子の方は元から言うこと聞かないからしょうがない」みたいな感じだったことが未だに自分の中で引っかかってる気がする。
追記
なんでも子供のとき出来事のせいにするなと思われるかもしれないけど「男性は主体的に責任を取る側だから失敗や間違ったりして経験を積む」前提が子供のときから社会にあるのに対して(本来は女性も主体だけど)、「女性は客体という認識から女性は失敗・間違いをしない生き物だと認識が逆転した」ことが女性は最初から完璧で間違いと失敗はしない生き物だから失敗と間違いを子供のときから厳しい目で見られやすいと私は思ってる。正直言うと失敗しても「男でもそんな失敗しない」みたいにツッコまれず「失敗して経験積むことが前提」になってる環境がどこかに存在するならうらやましいと私は思う(子供のときから親とかに揚げ足取られずに安心して失敗できる環境なんてなかったし)
学芸会の衣装のスカートについて
その担任の先生のときの学芸会の劇が「女性役の人はスカートを履く」みたいなことをやってた記憶があって、今までの学年でも劇のときは何かの衣装を着てたけど「男子でも女性役の人はスカートを履く」というのをその先生のときはやってて、「どういう意図でスカート必須の役」だったのかはわからないけどスカートにこだわってる劇だったような記憶が自分にある(女性役の男子は嫌がってるとかはなかった気がする。むしろ私の方がスカートを履くのが苦手で嫌だった記憶がある)
中学校の女子の制服はスカート一択だから(ズボンの選択肢がない)慣れるために学芸会の衣装を「その役の衣装は男子でさえスカートにした」という理由なのかもしれないと今は思う。
男子がスカート履いてようと関係ないしスカートが苦手な人にとっては出し物扱いは逆効果なんじゃないかと私は思う。未だに自分の中で謎の記憶になってるし。
中学生になってから同級生に「当時みんな(誰か一人とかじゃなく)荒れてなかった?」と言われた記憶が自分にあるけど、冷静だった人の視点だとその学年のときの環境は若干倫理観がおかしくなってたんじゃないかと今なら思う(その後は環境が変わったから問題ないと思うけど)
創作の「女性キャラで失敗と間違いの描写がある」パターンについて
ロマサガ3はカタリナが主人公のパターンがストーリーでは自分は一番好きで、敵のせいではあるけど「カタリナ本人の失敗」で大事な物をなくして取り返すシナリオが「女性は男性と同じように失敗も間違いもする生き物」という前提になってて、ミカエルでさえ先代の意図に気付かなかったことについて自己批判的でミカエルも本人主人公のときより主体的でよかったと私は思ってる。