FF2は主人公という客体・支配者という客体の物語ではないかと思う

※本記事は「FF2」のネタバレを含む自分の解釈があります

メタ視点ではフリオニールは主人公にさせられ、レオンハルトは皇帝にさせられてるのではないかと思う
フリオニールが主人公であるのは物語の都合によって「させられた」からだとしたらレオンハルトは「力が弱い者は支配されないと生きていけない」という論理の方が主体だから客体として皇帝の立場になって、パラメキア城のレオンハルトのセリフがリメイク版では「支配という概念に対して受け身」のような言い方に変わった理由はFF2の物語が「される側が主体・する側が客体」と転倒してる構造だからではないかと私は勝手に思ってる。
レオンハルトフリオニールと対峙するときのセリフが「俺を〇せるのか?」で受け身になってて主体者という感じがしないことが自分の中で引っかかってて(この場合は「俺が〇してやる」の方が自然に感じる)、動作と実態が逆転してるからフリオニールレオンハルトの主体性がわかりにくくなってると私は思ってる。