「推しの子」の物語が語らなかったことについて考えてみた

※本記事は「推しの子」のネタバレを含む自分の解釈があります

黒川あかねは吾郎母の生まれ変わりではないかと思う
アクアが死んだ後のあかねはアクアを理解してたとはいえルビーやかなと比べても達観し過ぎていることが自分には違和感あって、あかねは物語中盤ではアクアとライバルみたいな流れがあったはずだけどライバルなのか理解者なのか不思議な立場のキャラになってる理由について考えてみたら、「吾郎母がアクア達(吾郎達)を見守るために生まれ変わった」と考えたら今世が初の人生のかなと比べてもあかねが達観してることの辻褄が合うと私は勝手に思ってる。
あかねがかなの「大人相手でもハキハキ話す」ことに憧れた理由は吾郎母が妊娠を親に言えず隠したことが出産の悲劇に繋がってるだと私は思う。

「推しの子」はアクア(吾郎)とあかね(吾郎母)の物語がせめぎ合う二重の構造になってると思う
アクアが神木と一人で対峙した理由はあかねと共犯になることによる「母親と一緒に堕ちることを避けるため(母親とは別の人生を生きるため)」ではないかと私は思ってる。
メタ視点ではアクア(吾郎)がいなくてもルビー(さりな)・かな・あかね(吾郎母)が問題なく生きる世界になることがアクアの罪悪感を払拭する手段だからアクアは神木を〇して自分も〇す必要があるのだと私は勝手に思ってる。