子供のときからリスクを取る選択肢をほぼ強制的に取らされ続けるせいで冷静な判断力が身に付かなかった気がする

子供のときから学校が実質的に強制で就職も勤労の義務があるから強制力が高いこともあって「なるべくリスクを取らなくて済む選択肢を選ぶ権利がある」という前提が自分の中であまりなかった(全くなかったわけじゃないけど)と思う。

学校にしても労働にしても社会の暗黙の了解として実質的に強制に近いから(強制ではないけど)「自分のリスクを計算することが失礼だ」みたいな感じで「自分のリスクを想定したり・損得勘定をするのは性格が悪い(女性の性規範の観点だと)」という思い込みが自分の中にあった気がする(リスクを想定したり・損得勘定自体には性格の良し悪しは関係ないのに)


この下から文章に追記とか若干変更してる↓

女性の性規範は「他人を警戒することを失礼と見なす(性格悪いと判定する)」要素があるから、損得勘定したり・リスクを想定することが女性の性規範では悪と見なされてるんじゃないかと私は思ってる。

逆に男性の性規範は内面に関わる要素が少ない(実質的な能力・成果の要素が多い)から、リスクの想定・損得勘定が悪とは見なされない(性格ではなく能力の観点になるから)と私は思ってる。

女性の性規範が内面に踏み込んだ内容のものが多い理由は「他人に対して疑問を持ってはいけない」という前提から作られた規範だからだと私は思ってる。
だから他者を警戒したりリスクを想定することが失礼に当たるし、愛想の良さ・察しの良さは根本的に「他人に疑問を持たないこと」が前提にあるんだと思う。

愛想の良さ・察しの良さ等の女性の性規範自体が「その女性視点で他者を信用して警戒しない前提じゃないと成立しない」から、女性の性規範の「女性に他人(社会)への疑問を持たせない(疑問を持つこと自体が悪判定になる)」という要素が原因で違和感あったり疑問があるような内容でも、「疑問を持たずに信じることが悪ではなく正義」になってしまう逆転が女性の性規範にあるんじゃないかと私は思ってる。