「千年女優」型の構造について思ったこと

※本記事は「東京タラレバ娘」「千年女優」「FF2」のネタバレを含む自分の解釈があります

主人公をその運命に閉じ込めた相手の方が本来は物語の主役なんだと思う
東京タラレバ娘」の倫子達主人公3人がタラレバの運命に閉じ込められてるのはメタ視点ではKEYの方がタラレバ(過去)に囚われてるからで、「千年女優」で千代子が鍵の君を追いかけてるのはメタ視点ではこの状況を作ることで立花が千代子に関与できるようになってることと同じ原理で、東京タラレバ娘千年女優は本来の欲を隠すために主人公の主体性(救いたい・追いかけてる自分が好き)に相手の欲が出現してる点が構造として似てると私は思ってる。
FF2の場合はパラメキア城でレオンハルトに皇帝になった理由を聞いてるのがマリアであることを考えるとマリアの方が主人公のように見えると自分は感じて、マリアがフリオニールに関与したいことを隠すためにレオンハルトが裏切って主人公のフリオニールが対峙する運命になってるのかと私は勝手に思ってる。