ナルトで八門遁甲できる忍はメタ的には「大切な人を守れたうちは」なのではないかと思う

※ナルトの69巻以降のネタバレあります

マダラの言う柱間の国作りの矛盾は「人間の悪性を完全になくす方法はない」だと思う
マダラが柱間の国作りと六道仙人の教えの矛盾のときに言ってた「人間は平和を求める一方で争い求めてる」「力があるから争いを望み、力がないから全てを失う」は間違ってないと思うから、マダラの言う人間の在り方の矛盾を解決するには「人間は争いを求める(悪性を完全には消せない)生き物だと認めた上で力を付ける」という条件を満たす八門遁甲がこの物語では必須だったのではないかと私は思ってる。

マダラの言う「人間は悪性があるから善性だけの生き物ではない(意訳)」という人間として不可能なレベルで善性だけ求めるから歪みが出てくることを認めるために、他人に止められても自分ルールで発動できる八門遁甲がマダラを倒せなくても物語の文脈としてメタ的に必須だったと私は思う。

追記 ナルト世界の「わかり合う」のニュアンスについて
ナルトの物語終盤で柱間とマダラ・ナルトとサスケが「和解」する場面があるから、ナルトの物語で出てくる「わかり合う」は「理解する」というより「相手を許す(=相手の悪性を認める)」というニュアンスで使われてるのではないかと私は思ってる。

アニオリの六道仙人・インドラ・アシュラの話からの仮定の話だけど、六道仙人が忍宗の後継者を自分の子供ではなく絶対に他人から選ぶようにして忍宗の教えを信じない選択肢がもしインドラ・アシュラにあったらアシュラの方が闇堕ちするのではないかと私は思ってる。
この場合だとインドラが忍宗の後継者の立場を絶対視する理由がないから闇堕ちしなくて、忍宗の価値観と相性がいいアシュラが絶対に後継者になれないことでアシュラの方が闇堕ちして、うちはと千手の立場が逆になったんじゃないかと私は勝手に思ってる。