読書のメリット・デメリットについて自分が思ったこと・ドラクエ3の本について

※この記事は最初の内容から追記・変更とドラクエ3のネタバレがあります。本文はデメリットの話の方が多いです。

読書のメリットが知識・情報を得られることなら読書のデメリットは「その本の世界観にハマる可能性があること」ではないかと思う

読書のデメリットについて自分がたまたま見かけた意見で「その本の世界観にハマる」可能性があるから本を読むことを無条件には大丈夫とは言えないという意見があって、本を読むことについてデメリットの方を根拠で示してる意見はあまり見ることなかったから珍しいと私は感じた記憶がある(自分が観測したことないだけかもしれないけど)
「その本をきっかけに入信した」みたいな事例もあるから、本の選び方に対して警戒心を持つのは悪いことじゃないと私は勝手に思ってる。

追記 リメイク版ドラクエ3の本について
リメイク版ではナジミの塔の老人が「読んだだけで性格を変えるほど影響力のある本があるから読むときは気を付けた方がいい(意訳)」というセリフがあるけど、FC版からある賢者になれるさとりの書とは別に「本が読む人に与える影響はいいこと・悪いことの両方の可能性がある」という「都合のいいことだけ起こるとは限らない」みたいなニュアンスがリメイク版に追加されてることが面白いと私は思ってる。
商人の町で勇者が革命前夜に住民の話し合いに遭遇することがリメイク版では必須になったことも「他者視点が入ることで都合の良さを相対化する文脈」なんだと私は勝手に思ってる。

「絶対的な善人」という見方について

直接関わりのない人の不祥事等のニュースに対して「悪いことする人間だと思わなかった」みたいな反応することが不思議だった
少し前にテレビで不祥事に関するニュースがあったときに自分の父親が「紳士だと思ってた。不祥事を起こす人間だと思わなかった」みたいなことを言ってたことがあって、「自分ではない他人が何を考えてるか・どんな行動に出るか」なんて他人は自分と同一人物ではない以上わかるわけないのに、直接関わりのない人間が「絶対的な善人」だと自分の父がニュースを見るまで決めつけてた理由がよくわからないなと思った記憶が自分にある。
ニュースを見るまでどういう人間かわからなかったというのは他人視点だとそうなって当たり前だと思うけど「絶対的な善人がいる」という発想は裏を返すと「絶対的な悪人・ク〇」がいるということでもあるから、行動に対して功罪を判定するのではなくこの人物は絶対的な善・絶対的な悪と決めつけるのはおかしいと私は思う。
2022年後半~2023年前半くらいの時期に父親が今より機嫌が悪かった理由はコ〇ナの第〇波で社会全体での感染拡大のピークと家の事情だけでなく、「究極の善人概念と自分が比較されてク〇判定されてた」というのも理由としてあるんじゃないかと私は今なら思う。

FFタクティクスのアルガスと帝一の國の菊馬は主人公のライバルとして機能することで物語にラスボスを出現させてるキャラだと思う

※FFタクティクスと帝一の國のネタバレあります

アルガスと菊馬は似た境遇じゃないかと思う
アルガスはFFタクティクスのラスボスの出現には特に関与してない立ち位置のキャラだけどジークデンの砦の一連の出来事はFFタクティクスの物語としては必須だから、メタ的にはアルガスの行動がその後のストーリーでのラスボスの出現やディリータの人生にかなりの影響を与えてるみたいなところはあると私は勝手に思ってる。

菊馬の「光明を偵察に行かせて洗脳されたのは光明を大事にしなかった帝一の自業自得だ(意訳)」セリフはアルガスのラムザに対する「親友という割にディリータを利用してる(意訳)」というセリフと同じ意味で、裏設定では貴族であることにこだわった母の価値観の影響を受けてるらしいアルガスと比較すると、菊馬は父の影響で帝一をライバル視してるだけでなく「母の影響」もあるのではないかと私は思ってる。

人間関係の愚痴を否定されずに聞いてほしい人は「関係性を改善したい」ではなく「その相手と縁を切りたい」が本音ではないかと思う

客観的に性格悪い本音を言わなければいけないときは正直に言えないから「聞いてほしい」としか言わないんじゃないかと思う
自分が相手に合わせて変わって関係性を改善しろというアドバイスを受け入れたくないときは「その相手と縁を切りたい」というときで、客観的にいい・悪い関係なく「本音」の部分が相手と縁を切る方向で本人が無意識に考えてるから「自分はこうしたい」という方向性が実はあるにも関わらず、相手に話を聞いてもらわなければ解決しないという思い込みで愚痴を言ってるだけだと私は勝手に思ってる。

パワプロは野球に「興味を持つ」ことへのハードルを下げたゲームじゃないかと思う

少なくとも野球に「興味を持つ」ハードルはそんなに高くないと思えた気がする
パワプロと実際に野球をすることは別物だとしても、野球自体に興味を持ったり・知ることは一部の詳しい人にしか出来ないことではなく誰でも気軽に出来そうなことだとキャラが試合してる様子を見て感じられてたことに意味があると私は勝手に思ってる。

タクティクスオウガは「冷静さ」がなぜ必要かを示してる物語じゃないかと思う

タクティクスオウガのネタバレあります

個人の理想・情熱が必ずしも肯定されるわけじゃないところが面白いと思う
物語だと特に主人公の理想・情熱については全面的に肯定されることが少なくないと思うけど、バルマムッサでの虐〇ルートを選んだときは確か後になってデニムが過ちを認める流れがあること・シェリーが本人の感情と意思の赴くままに行動してデニムと対立する流れについては「個人の理想・情熱は他者視点では悪になる可能性もある(理想・情熱が他者視点では正義とは限らない)」という点がはっきり描写されてることがよかったと私は勝手に思ってる。

リメイク版のラヴィニスのセリフは正当化とは違う意味で個人の判断には本人だけでなく他人の影響が含まれてることを示してると思う
虐〇ルートでのデニムに対するラヴィニスの「若者の力に甘えて責を負わせてしまった(意訳)」セリフは「個人の判断は集合体の影響もある程度は受ける」という意味で言ってると私は勝手に思ってる。
主人公を免責してるというより人間はお互いに影響を与えたり・受けたりして生きてる以上は100%本人だけの意思でその判断をしてるわけでもないという意味じゃないかと私は思う(その判断自体は本人がやってることだし、正当化とは違うニュアンスで言ってると思う)

学校システムは同級生を他人以前に「友達という概念」で捉えることを先に教えるから、自他の区別を理解するのに自分は時間が掛かった気がする

※学校システムを闇雲に叩く目的の文章ではありません

友達以前に「自分と同一人物ではない他者」であることを強調して教えていいと思う
学生のときは友達とか先輩・後輩という概念での区切りを意識せざるを得なくて「学生のとき出会った人を友達とか概念から来るイメージを優先した認識」になってたことことが、昔出会った人に対して「他者」として自分が客観的に認識できるようになるまでに時間が掛かった原因だと私は思ってる。